About

水木ユキ デザイナープロフィール

京都市立芸術大学美術学部デザイン科卒業

工業デザイナーとして就職

-ダイハツ工業株式会社(大阪)

-トヨタ自動車株式会社(アメリカ) Trainee

-Johonson Controls社(本社アメリカ/横浜オフィス)

-キヤノン株式会社(東京)

での勤務を経て、

2017年地元である京都に戻りデザインの会社を設立

TOEIC940点


当社の強み

「たくさんのデザイン会社がある中でタイムアンドデザインを選ぶメリットは?」

「お客様のご希望」と「予算」の両立
代表・水木が自分の強みと思っているのが、大きな会社の中でデザイナーとして働いたことも、小さな会社をゼロから起業したことも両方ある、ということだと思います。大きな予算があるデザインプロジェクトもまわしたことがありますし、また自分が起業した時の経験から、一つ一つの案件に割ける予算が限られていて、その中で最大限のことをしなければいけない状況も理解できます。例えば、当社の動画制作事業では、2か月かけて1本200万円の動画を作ることもあれば、1本2万円の動画を作ることもあります。当社には、お客様のご希望に沿ってフレキシブルに対応できる強みがあります。

京都市を中心としたエリアでの地域密着型サービス
いろいろなデザイン業務をオンラインで外注できる時代ではありますが、当社はできるだけお客様の近くで一緒にお仕事がしたいと思っています。例えばカタログやホームページの制作でお客様の店舗を撮影しに行くことがありますが、「今日面白い作業があるから撮影に来て!」と言われて、予定が空いていれば車で駆けつけられるくらいのフットワークの軽さでお仕事がしたいと思っています。だから、敢えて営業範囲を京都市を中心としたエリアに絞り、値域密着型のデザイン会社でありたいと思っています。

「お問いあわせはお気軽に!」の意味
エリアを絞って事業をしているからこそ、本当にお問合せはお気軽にしていただければと思っています。例えば「デザインを依頼したい時にメールやお問い合わせフォームで全部説明して…というのが苦手」という方であれば、そのようにお伝えいただければ直接お店や事務所にお伺いしてお話をお聞きします。お店のPRをしたい、などの案件であれば、現場がわかるほうが当社にとっても都合がよい場合もございます。もちろん、予算や内容によって当社にご依頼されるかどうかはご判断いただければいいですし、見積もりまでは無料で対応しています。どうか、「お問い合わせはお気軽に!」。

    水木ユキ こんな人

    京都で生まれ育つも、子供の頃はあまり京都が好きではありませんでした。

    キラキラしたカラフルなものが好きだったので、歴史的な街並みは
    「なんか茶色の多い世界だなー」と思っていました。


    親:「二条城に行くよ」
    私:「何それ」
    親:「お城」
    私:「!!!」頭の中でディズニーのキラキラのお城が思い浮かびテンションが上がる
    (ドレスは着なくてもいいのかな…)
    ↓↓↓
    二条城に到着
    「え…何か違う…茶色い…」
    みたいなことがよくありました。

    絵を描くのが好きで、カラフルなクレヨンや絵の具でチラシの裏に絵を描いたり、粘土をこねくりまわしているほうが、外で友達と遊ぶより楽しいタイプの子供でした。


    留学

    とにかくあまり京都の良さをわからないまま外国への憧れだけが膨らんでいた高校時代、チャンスはやってきました。通っていた高校から、交換留学制度を利用して半年間カナダの高校へ行けることになったのです。

    私が行ったカナダの高校は、今で言う多様性の宝庫。いろんな人種の子がいて、いろんな髪の色やピアスやタトゥーや奇抜な洋服の生徒が廊下を歩いていて、とにかく「人の見た目ってこんなに違うんだ」と衝撃を受けました。また、本当に普通の公立高校だったので、いろんな境遇の子がいます。お金持ちの子、そうでない子、既に子供のいる子、事情があって年が少し上の子…アフリカの戦争から逃げてきてる子だっています。いかに自分が狭い世界で生きていたのかを思い知らされました。日々受ける衝撃を、私は大好きだった美術の時間に爆発させていました。その高校で美術の授業を担当して下さったナンシー先生が、私が留学を終えて帰国する前に「あなた絵が上手いから美大に行ったら?」とアドバイスをくれました。それから日本に帰り、二浪して京都市立芸術大学に入りました。もちろんですが、私が留学している間に同級生たちは勉強をして既に大学に入っています。楽しそうな友達のことを羨ましがりながら、デッサンなど美大受験のための技術を習得しました。(サラッと言ってますが、二浪は本当にしんどかった。)


    京芸時代

    私が学生だった頃、京都市立芸術大学は沓掛という京都市内でも山に近いエリアにありました。山の中のキャンパスで自然のものの形から毎日インスピレーションを得ながら授業を受ける中、私は立体を作ることに興味を持ち、プロダクトデザインを専攻することにしました。デザイン科では課題が山のように出ます。学校が山の中だったことがかえってよかったのか、遊びに行く間もなく家具や家電、自動車などのデザインを必死でこなしながら学生時代を終えました。 学校の近くは柿が有名な場所で、秋になると柿が楽しみ…でしたが学校のまわりに全然娯楽施設がない笑、とにかく制作に明け暮れる学生生活を送りました。デザイン科の課題は、いつも〆切がタイトに設定されていて、その日までに作品のコンセプト立案からモックアップの制作、プレゼンテーションの準備などに追われることになります。そして〆切に間に合わないとすごく怒られるので、いつも必死でした。大学を卒業する時は、本当に達成感があり、「学生生活が終わって寂しい」ではなく、「やっと終わった…」と思いホッとしました。今思えば、学生の頃にそれだけ短納期の課題を次々こなすことで、社会に出てからの対応力が鍛えられていたのかな、と感じます。それだけ厳しく鍛えて下さった先生方や環境に今はすごく感謝しています。


    卒業後は、カーデザインの世界へ飛び込む

    私が卒業した時代、世の中は就職氷河期。でも私は運良く自動車メーカーのデザイン部に就職することができました。留学経験から英語ができたので、就活中当時まわりの学生はほとんどやっていなかったTOEIC受験をしてそこそこの点数を持っていったのがよかったのだと思います。自動車デザインの世界はとても面白くてクリエイティブな世界でした。同時に、細かい設計要件を理解する必要があったり難しいことも多く本当に大変でした。それでも自分がデザインに関わった車が世の中に出て街を走っているのを見ると、全ての苦労が報われた気持ちになり、とても誇らしかったのを覚えています。そして、私が何よりうれしかったことは、京都を出られた!ということ。大学で身につけたデザインと言う武器を手に、働いて手にしたお給料で、京都を出て自力で生活していけるようになったことが、本当に嬉しかったです。


    海外勤務

    その当時働いていた自動車メーカーの関連会社のデザインスタジオがアメリカ・カリフォルニア州にあり、日本の会社から社員が交代で行って働くという制度がありました。そして、ご縁があってそこで18か月間、研修生として働くことになりました。英語は留学をしていたので友達とのくだけた日常会話は話せましたが、海外で働くのははじめてです。今度は仕事の中で日本とアメリカの差に驚くことになりました。日本の会社では、同じ車をデザインするデザイナーたちは、どちらかというと団結して協力し合おう!と最初からチームワークが重んじられる感覚でしたが、アメリカでは個々にすごい才能を持ったそれぞれのデザイナーが、ライバルとしてもっとバチバチやっていて、そうやっているうちに最後にひとつの車としてデザインを仕上げていく中でチームになっていく、という感じでした。とてもタフな環境でしたが、自分も強くなって帰ってきました。


    また日本。苦しい時代

    強くなって帰ってきたはずなのですが、苦しい時期がいきなり来ました。大変ながらもそれまで順風満帆だったキャリアでしたが、就職してからアメリカ時代まで常に頑張りすぎたのか、何の前触れもなく心がボキッと折れてしまいました。日本の会社に戻り、普通に通勤していたら、大阪梅田の人混みでパニック障害を引き起こし、心療内科へ。「ちょっと休める?」と言われ、結局その後半年間会社を休むことになりました。


    転職。リストラ。転職。

    半年経って元気にはなったのですが、悩んだ結果、せっかく就職氷河期に新卒で入れた会社を辞めることに。環境を変えたかったのもあります。運よく半年後再度別の会社で働き始めました。外資系の自動車部品メーカーで、アメリカに本社が、日本には横浜に拠点のある会社でした。外資系で給料はとても良かったのですが、外資系あるあるで怖いところ…そう、突然リストラ話が!2年も経たずに辞めないといけなくなりました。でもこの会社では、アメリカ流の働き方をさらに深く学ばせてもらい、またたくさんアメリカに出張に行って大きなプロジェクトにも携わることができたので感謝しています。その後も日本の有名な会社のインハウスデザイナーになって、そこでもとてもいい経験をさせてもらいましたが (よそで働かせていただいた経験については私は本当に恵まれている)、心のどこかで、自分自身の意思とは関係ないことで世の中に振り回されながら仕事をしている…という感覚が常にありました。もちろん、そのまま続けてインハウスデザイナーとして一生を終えてもきっと楽しかったと思います。でも、悩みに悩んで、サラリーマン時代最後にいた東京を離れ、京都に帰ることに…


    京都に帰る

    京都に帰った理由は、親戚の家が染物屋を経営していて、そこの商品開発を手伝いたいと思ったからです。その染物屋は100年以上の歴史のある老舗ですが、昔ながらの職人が染めた商品を求めるお客様が少なくなっていることもあり、新たな挑戦をしたいと考えているところでした。ちょうど、その会社の経営が世代交代し、社長が私のおじさんから私のいとこ(私より年下)になったことで、一緒に何かチャレンジしやすい環境になったタイミングでした。

    私は、その染物屋をはじめ、京都の伝統産業・伝統工芸に従事する会社や個人の方々をデザイン面でサポートさせていただきたいと思い、そのための会社を設立することにしました。

    もともと、あんなに出たかった地元・京都ですが、大阪、東京、横浜、アメリカのカリフォルニア、ミシガン…サラリーマン時代たくさんの場所を点々とした結果、やっぱり自分が一番リラックスして仕事ができるのがここだ。そう思って京都に戻ってきました。


    TIME and DESIGN

    会社名に込めた思い。それは、「時間のかかるものづくりをデザインでサポートする」ということです。伝統的なものづくりには手作りならではの良さがありますが、どうしても手間と時間がかかり、値段も高くなります。それをわからない消費者には「高いね」で片づけられてしまいます。昔はいいものは何も説明がなくても価値をわかって買ってくれる人がいましたが、今は違います。動画やチラシ、パンフレットなどあらゆるデザインを通して、価値を伝えるお手伝いをしたいと思っています。また、商品のデザイン自体も、現代の感覚に合うものが求められています。商品開発も、職人さんの思いに寄り添いながらお手伝いしていきたいと思っています。